嵐山ビジターセンター

嵐山の豊かな自然の存続を願う里山の自然環境保全の拠点として活動しています。丸太造りのロッジは、市民有志33人に加え、全国800余名の賛同者により、2年8カ月の歳月を経て手造りで平成元年に建設されました。以後、自然を愛しこの地を訪れる全ての人に開放されています。初夏と秋、冬のハイキングをはじめ、親子の遊び、子どもたちのアート制作、1000本のキャンドルライトなど年間を通じて様々なイベントを行っています。
嵐山の豊かな自然の存続を願う里山の自然環境保全の拠点として活動しています。丸太造りのロッジは、市民有志33人に加え、全国800余名の賛同者により、2年8カ月の歳月を経て手造りで平成元年に建設されました。以後、自然を愛しこの地を訪れる全ての人に開放されています。初夏と秋、冬のハイキングをはじめ、親子の遊び、子どもたちのアート制作、1000本のキャンドルライトなど年間を通じて様々なイベントを行っています。
嵐山公園は春から秋にかけては行楽や遠足等の場として、冬にはスノーシューを使った散策など、市民をはじめ多くの人に親しまれています。頂上の展望台からは大雪山連峰と石狩川、旭川市の街並みを一望することができ、夜景や花火見物のスポットとしても知られています。
また、一帯の豊かな樹林地は学術的にも貴重な植物が多数確認され、キタキツネやエゾリスなどの小動物が生息し、多くの自然生態系が保たれています。
嵐山公園センターは嵐山公園の中核施設として位置づけられ、北邦野草園や嵐山展望台への散策の拠点となっています。センター内では、園内の草花の写真や自然環境の展示が見られるほか、季節の草花や自然観察などの講習会を開催し、旭川に分布する植物の調査研究活動も行っています。
また、旭川市博物館の分館機能も有し、アイヌ民族に関する資料展示も行っています。
「アイヌ文化の森 伝承のコタン」は、アイヌ文化の保存と伝承を目的に旭川市博物館の分館として開設されました。実際にアイヌの人々が住んでいた「チセ」と呼ばれる住居や「プー」(食糧庫)など、アイヌコタン(集落の意)の様子が復元され、自然と一体となった当時の暮らしに思いを馳せることができます。
アイヌの人々の建物がこれらの場所に復元されたのは、上川アイヌの人々が嵐山を「聖なる地」としていることや、豊かな自然に囲まれていることなどに基づいています。
嵐山公園センター内にある資料館の展示は、嵐山公園センターの立地、設置趣旨などを勘案し、アイヌの人々のくらしにおける植物利用に焦点をあてたものとなっています。アイヌ文化を理解していただけるように、植物採集に関係する川筋のアイヌ語地名や、上川アイヌの史実資料も展示しています。
関連情報:アイヌ文化にふれる
「北邦野草園」は嵐山ふもとの石狩川とオサラッペ川が合流する入口近くに位置する、北方系植物の野草園としては国内有数の規模を誇ります。
その歴史は、昭和47年に旭川営林局が市民の散策や交流、営林局職員の研修を目的に計画し、国有地に開設したことに始まり、平成10年に旭川市の所管となりました。開拓される前の豊かな森林植物の復元・保護をはかるため、自生種を中心に北方系の植物が収集されており、その数は約600種類以上にも及びます。
12.25ヘクタールもの面積をもつ広大な園内は、地質学的にも大変興味深い自然環境となっています。散策路は全長5.2キロメートルあり、30分、1時間、2時間などの散策コースがあり、所々に案内板や休憩所が設置されているので、初心者でも安心して散策することができます。
石狩川に流入するオサラッペ川口の右岸から嵐山公園を含め、それに続く近文山の大地が石狩川に落ちる所までの一帯は、上川アイヌの人たちが古くから「チ・ノミ・シリ(われら・いのる・山)」と呼び、神の化身である動物の霊魂をカムイモシリ(神の住む国)へ送り返した後の頭骨や、愛着のある器物に宿る霊魂を送った後、最終的に納める「送り場」であり、神々と人間をつなぐ聖地として崇拝してきた地域です。
現在は「アイヌ文化の森 伝承のコタン(集落)」として、アイヌの住居や祭壇の復元展示が見られるほか、上川アイヌの人権と生活をリーダーとして守り抜いた偉人「クーチンコロ」や、卓越した技術を持ち木彫りの熊の開祖といえる「松井梅太郎」の顕彰碑が設置されています。
毎年春には、神々に一年の無事を感謝し、これからの一年の幸せを祈る伝統儀式「チノミシリ・カムイノミ」が執り行われ、偉大な先祖を讃えるとともに人々の幸福や平和を祈ります。
チセ
cise(家)
チセを作る材料は、すべて木や草などの自然物です。カツラやカシワなどの腐りにくい木で柱を立てます。柱と柱の間に横木をわたし、屋根と壁をふきます。使用する笹は一冬越したものを採取するなど、材料をかなり吟味して夏の暑さや冬の寒さといった厳しい自然から身を守っていました。また、旭川では笹が使われていますが、地域によって違いがあり、カヤを使う地域や、樹皮を使う地域もあります。
伝承のコタンでは、ほかにも干した肉や魚などの食糧を保存するための「プー(食糧庫)」や、「アシンル(トイレ)」といった建物を見学することができます。
チャシ コッ
casi kot(砦 跡)
チャシとは「砦」や「見張り台」などという意味です。十勝地方のアイヌが攻めてきたとき、ここで防いだという伝説も残っており、石狩川を見下ろせる位置にあるこの場所は見張り場として重要な場所でした。
ノチゥ
nociw(星)
旭川アイヌの伝承では、空から星が落ちたとき、見に行くとこの岩が立っていたので、この岩をノチゥ(星)と言ったそうです。昔は陸続きだったともいわれています。
オ サラ ペッ(オサラッペ川)
O-sara-pet(川尻 開いている 川)
石狩川との合流点の河口が開いている(冬でも凍らないという意味?)とも理解できますが、一方でオ サㇻ ペッO-sar-pet(川尻 ヨシ原 川)という説もあります。
嵐山の豊かな自然の存続を願う里山の自然環境保全の拠点として活動しています。丸太造りのロッジは、市民有志33人に加え、全国800余名の賛同者により、2年8カ月の歳月を経て手造りで平成元年に建設されました。以後、自然を愛しこの地を訪れる全ての人に開放されています。初夏と秋、冬のハイキングをはじめ、親子の遊び、子どもたちのアート制作、1000本のキャンドルライトなど年間を通じて様々なイベントを行っています。
嵐山のふもとに広がる丘陵地「旭岡」。その中の旭岡静望町内会に属するエリアは名前のとおり、眼下に旭川の街を望む緑豊かで閑静な住宅街が広がっていますが、昭和40年頃から陶芸を営む窯元が点在し、「陶芸の里」と呼ばれ市民から親しまれてきました。その後も陶芸を中心に、ガラス工芸・染色・木工クラフトなどの工房やアトリエ・ギャラリーが自然に集まり、魅力が陶芸だけにとどまらなくなったことから、平成22年8月に名称を「嵐山陶芸の里」から「北の嵐山」と改め現在に至っています。豊かな嵐山の自然の中で、各工房とも伝統にしばられない独創的な作品を生み出していることが特徴で、温かみのある手しごとの作品との出会いはもちろん、作品制作や茶道の体験などを楽しんだり、小鳥のさえずりや木々のざわめきの中を散策したりカフェでくつろいだりと、ゆったりと静かな時間を過ごすことができるスポットです。